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メッセージ「日本宣教100年の歩み Missions」 PDF版

「日本宣教100年の歩み Missions」

Mr.&Ms. Cathcart
夏季国際宣教学校(ISM)学院長
ジョン・キャスカート師 & 奥様のグロリア夫人

日本宣教100年目の節目

■クライスト・フォー・ザ・ネイションズ・ジャパン聖書学院(CFNJ聖書学院)のこの快適なゲストルームで、机の前にこうして座り、愛する国と宣教について、自分の様々な考えや思いを書きとめようとした今、今年が私の家族がこの国で主に仕えてからちょうど100年という節目の年であることに気づきました。それは、大正時代、私の祖父レナードW.クートから始まりました。祖父はビジネスマンとして神戸に来ましたが、日本駐在の宣教師と一緒に住んだことから、1911年に救われました。彼は実業界を辞めて、信仰によって生き、1969年に主が彼を天国に召す時まで、ここで福音を伝え続けました。主は彼を、とりわけ、日本人に、聖霊に満たされるということを伝えるために用いました。今日、生駒聖書学院およびたくさんの教会が、彼を通して聖霊が生んだミニストリーを続けています。

■今日まで話を進めて100年後の現在、生駒聖書学院および米国のインターナショナル・バイブル・カレッジ(IBC)を卒業した何千人もの聖書学院生は、キリストの召しに応え世界中の村々へ福音を届けるために、日本や他の多くの国々で宣教師として仕え、そして死にました。キリストに捧げた一つの命の影響が何を生み出すかは私たちにははかりしれません。私たちの日本での働きは、妻のグロリアと私が1982年に日本に移って来たときに始まりました。私の祖父が始めた日本ペンテコステ教団と共に働くために招かれたのです。同労者たちの素晴らしいチームとともに、私たちは天理市および奈良県のその他複数の場所に教会を開拓しました。1995年、私たちは子供たちを育て上げ、ヘレナに拠点を置く教会開拓のためにモンタナに移りました。2年前、私たちの4人の子供のうち2人が奈良県での仕事を続けるために宣教師として日本に戻りました。そしてこの7月、まるで偶然のように、私たちが日本を離れてから約16年後、私たちは家族全員がまた一緒に、主に仕えて日本にいることに気がついたのです。これは計画されていたことではありませんでしたが、とても重要な約束でした…。それは私たち家族の100周年記念だったのです! 3月の地震による前例のない災害とともに、今、前例のないほど日本人の心の扉が開かれていますが、私たちにとっては預言的な時点のように思われ、ここに私たちは天の定めの手を見る事ができます。

大宣教命令の祝福

■ しばしば、私たちはクリスチャンとして神の他の命令とともに大宣教命令を祝福と考える代わりに重荷と見てしまいます。しかし、一度追い求めれば、神の命令が祝福へのすばらしい入り口であることがわかります。神のすべての命令は神と神の御国にだけ益となるのではなく、私たち個人の豊かさと実現にとっても益となるのです。大宣教命令を受け取ることは、クリスチャンライフにおいて神から受ける最も偉大な祝福のひとつです。最も豊かな人生は、主の収穫の場において主と肩を並べてくびきを負う人生です。そこであなたは主と最も近くにいることができるという特権を与えられ、主の鼓動を最もよく感じることができるのです。

■それでは、宣教は私たちにとって、一家族としては何を意味しているでしょうか?それは、私たちの心を、神と神の国の為に共にいる家族として活性化させてくれています。また私たちに同じゴール、確信、そして望みを持たせてくれます。そして私たちに多くの国々からなる国際的な家族を与え、神が計画し任命した他のいろいろな文化の中でキリストとの関係を経験させてくれて、私たち自身の能力不足から私たちを解放してくれます。私たちはそれがより豊かな方法で神の愛を知るための場所であり、そこで私たちも神の満ち満ちた様にまで満たされることに気付きました。この宣教は私の家族に豊かで満ち足りた人生を与えてくれました。また、世界伝道に参加したことで、神の備えの倉庫に入り込むことができました。、私たちのミニストリーの小さな場所にだけではなく、主の収穫の場全体に焦点を当てるときにやってくる超自然的な祝福の備えというようなものがあることがわかりました。私たちは祖父のスローガン「不可能は挑戦となる」が真実であることを学び、また「最高のことはこれからやってくる」ということを学んでいます。

神の収穫の扉が開く年

■今年は私たちの家族にとって預言的な時ですが、また日本にとっても預言的な時であると私は信じています。3月11日、東北の28,000人もの大切な人々の命をただ1度の大きな津波がさらって行きました。たった数ヶ月前には、40万人の今や家を失った人々が物質的な財産を熱心に求めていましたし、それが普通のライフスタイルだったのです。しかし一つの波がそれらの所有物や過去に根を張っていたものを、投げ捨てられる瓦礫の山にしてしまいました。残されたものは東北地方に開かれた、幅10km、長さ400kmの宣教のチャンスの扉です。

■私の家族はここ北海道にあるCFNJ聖書学院でのインターナショナル・スクール・オブ・ミッションズ(ISM)開始の一員として、再び日本に戻ってくるという特権に預かっています。これは、私たちだけではできないこと…主の畑の収穫の終わりの日のための働き手を育て上げるためのISMの設立を一致団結して行おう、という4カ国からなる5つの宣教団体の協力的努力です。なぜ北海道なのか?私たちは 歴史的に福音に対して閉ざされている国々からたった数時間しか離れていない距離にいます。ここは訓練基地として、また宣教の最後の辺境に働き人を送る発射台として戦略的に完璧な立地にあります。このISMに参加している3組の家族がみな福島エリアから参加していることは興味深いことです。神様は何をしているのでしょうか?
ここ北海道に来るために、グロリアと私は奈良から車で北上して来ました。私たちは石巻を通って半日運転しましたが、そこで人々の喪失感を感じました。それから私たちは北海道行きのフェリーに乗るために仙台の被災地を通らなければなりませんでした。私たちの船は、地震と津波によって破壊された海岸沿いを14時間航海しました。そこで非常にたくさんの命が海へ押し流されたのです。
■折々、自分が一生に一度の瞬間を経験していることに気付くことがあります。これはそういった瞬間の一つでした。船が進んでいったとき、海にはプラスティックの家庭用品が浮いているのが見えました。そこは聖なる海と言ってもよいほどのところではないでしょうか。なぜならそこで非常にたくさんの人たちがすべてを失ってしまったからです。今は、福音と共に生きるようにとの警鐘が鳴らされている時です。クリスチャンが希望の福音とともに突入して行き、生きている人々の命に永遠の変化をもたらすためのかつてない機会です。ときどき私たちは宣教を、教会の主たる仕事ではなく、教会の仕事の一部にすぎないと考えます。もし仮に死後の 命や来るべき裁きのようなものがないのであれば、そうかもしれません。しかしそれらは実際にあります。神はこの世界を愛しています。そして神は私たち人間をも同様に愛しています。私たちがキリストの福音を持って、できる限りすべての魂に到達して神の国の為に弟子とするようにと命じているのが父なる神様の心です。私たちには、時の窓が閉まる前に多くの機会が与えられているだけです。

■ 100 年間私の家族は日本の心に入るための扉が開かれるようにずっと祈り続けてきました。今、その扉が開いています。CFNJ聖書学院で開かれているインターナショナル・スクール・オブ・ミッションズについて是非知って、友人・知人にお伝えください。日本中が見ています。必要とチャンスがあるこの偉大な時にキリストの愛を持ってキリストの教会が駆け付けることができますように。


イエスの御名で… ジョン・キャスカート