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ニュースレターNo.150

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平凡な人生の価値

■イサクの人生は、父アブラハムのように壮大でもなく、その子ヤコブのように波瀾に満ちたものでもありませんでした。彼の人生を表わす言葉を一つ選ぶとすれば、それは「平凡」です。
 イサクには冒険的、開拓的、独創的な面は少なく、家庭的で穏やかで、日常的な面が多くありました。これといった特色のないのが特色と言ってよいでしょう。それにもかかわらず、神が、ご自分のことを「イサクの神」と呼ばれているのは、イサクの人生や生き方に、ある大切な教訓が含まれているからに違いありません。

 

■ではその教訓とは何でしょうか。神が平凡な人生を決して軽んじられないという事実です。アメリカ大統領リンカーンは、あるとき言いました。「神は凡人を愛される。そうでなければ、これほど多くの凡人をお造りにならなかったに違いない」と。私たちも平凡を軽んじることはできません。というのは、われわれの人生の大部分が平凡な日々の連続であるからです。
 イエスは言われました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう」と。小さなことを長く忠実にやりとげた者だけが、大事な局面に立たされても、それをなんとかやってゆけるのではないでしょうか。多くの人は思います。大きな場面で仕事のできる人は、小さな場面なら、もっと簡単にやれるだろうと。でも実際は反対です。大きな場面では、人びとの注目があります。賞賛があります。だから失敗しないように全力を尽くすでしょう。ところが小さな場面ではどうか。注目もなければ、賞賛もない。だからつい軽んじて自分のほんとうの姿を露呈してしまうのです。

 

■牧師の場合も、外では謙遜で柔和にふるまえても、家庭ではそうでないということが少なくありません。ある教会で説教をしたら、それを聞いた信徒の方から感謝の手紙が届きました。「米村先生が語ってくださったメッセージは、魂の奥に届き、自然に涙がこぼれていました。先生は静かにごく自然に語られるのですが、その話があまりにも正直で、威張ったり、良く見せようとなさらないので、聞く者の胸を打ちます。まだクリスチャンではない夫も、さすがに米村先生のメッセージには真剣に耳を傾けて、ときには天井を向いて大笑いしておりました。先生の著書『健やかな人生の土台を築く』は、二人の息子たちに『母の遺言として』と裏表紙に書いて渡しました。きっとお嫁さんも読んでいつかクリスチャンになってくれたらと祈っています。」と、まあ、そんな内容の手紙でした。それを読んだ妻は言いました。「あなたの普段の生活とはずいぶん違うわね」外での働きはよくできても、もっとも身近な妻や家族に対してはどうか。平凡な日々の生活をどう生きるか。そのほうがはるかに日曜日の説教より難しいのではないでしょうか。

 

■イサクの生涯の特徴は、その平凡な日々の生活にありました。父アブラハムのように遠くに目を注ぐのでもなく、その子ヤコブのように野心に満ちてもいません。彼の目は、ただ日常の身近な今日の義務に注がれていたのです。イサクの物語は、大きくわけて六つの部分からなります。彼の誕生、モリヤの山での犠牲、結婚、父アブラハムの井戸を再び掘ったこと、ペリシテ人の王アビメレクとの交渉、そして最後は息子ヤコブとエサウの祝福です。これらすべての場面で、イサクは自ら行動を起こすことはありませんでした。いつもだれかに動かされ、彼の主導権が行使されることはなかたのです。

 では彼がやったこととは何だったでしょうか。父アブラハムが成し遂げたことの模倣であり、その継続です。単調な人生かもしれませんがそれが「後継者」の仕事です。しかし歴史における重要な変革は第一世代だけによって成し遂げられたのではありません。もちろん第一世代の働きは大きいでしょう。また多くの場合、独創的です。しかしそれが歴史に残る変革となるかどうかは、常にその後継者にかかっています。後継者は、その変革を定着させ、安定させなければならなりません。イサクは、そういう意味では、父のものをよく受け、それを息子によく伝えたのです。それがイサクが成し遂げた最大の働きであったと言ってよいでしょう。ある歴史家は言っています。「創始者たちの成功について歴史が下す裁断は、それが輝かしい勝利になるか、それとも単なるエピソードになるかは、その後継者しだいだ。後継者とは、その変革を定着させ、安定させなけれぱならない世代である」と。後継者は何も新しいことはしないでしょう。しかし創始者が始めた変革を継続し、それをもとに戻そうとする保守的力や伝統と闘わなければなりません。それらに打ち勝って初めて次の世代へ継承が成功するのです。あの偉大なパウロにも独創はありませんでした。彼はイエスの後継者です。イエスの生涯とその死が、どのような意味をもつかを広く人類に知らせ、キリスト教を世界宗教にしたのはパウロです。パウロという偉大な後継者がなかったら、創始者であるイエスの働きがこれほど美しく人類史に輝くことはなかったでしょう。

 

後継者の仕事

■すでにご存じのように、私自身も、この教会の創始者ではありません。後継者です。この大津の町で伝道しようと思ったのはニコラス宣教師です。それは彼のビジョンであって、私のではありませんでした。もしチャックさんが来なかったら、この教会はなかったでしょう。主はイサクに「エジプトヘは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう」と言われましたが、ニコラス宣教師は私にこう言い残して大津を去ってゆきました。「もしよい働きをしたければ、次々とやってくる新しい信仰運動に惑わされてはいけない。むしろ自分が遣わされたこの場所にとどまり、ただ自分に与えられた群れに心を留め、全力をつくして彼らのために仕えなさい。それがおまえのなすべき最善の仕事だよ」ヨシュアがモーセの命令から右にも左にもそれなかったように、私も、おおかたその助言に従って40年の伝道を続けてきたように思います。

 

■遅々として進まない地方の伝道が苦しくなって、新しく起こった信仰運動に夢中になってゆく牧師たちも少なくありませんでした。しかし私の心は揺るぎませんでした。ニコラス宣教師の助言に従って地道な伝道を重ねてきたのは間違いではなかったと今しみじみ思います。イサクが、アブラハムの井戸を掘り直したように、私もまた、宣教師が掘った井戸を堀り直してきたのです。かつて流れていて、その後、流れなくなったものを流れるようにする。それが後継者の仕事なのだと思います。

 

■そこに独創はありません。宣教師の伝道で集まって来たのは高校生でした。が、進路、進学の時期がくると、その多くが教会を離れ去ってゆきました。その後、私たちがこの町に残って再び伝道をすることになったとき、まずとりかかったのはやはり高校生伝道だったのです。宣教師がこの町で最初に友人となったのがYさんで、そのYさんから建物を借りて伝道を始めたので、私たちもYさんの好意にあずかり、こうしてYさんの土地に新会堂を建て、伝道を続けています。種はみな宣教師が蒔いたものです。私はその成長のために水を注いだだけです。この教会の特色と思われるもの、たとえば牧師を先生と呼ばないこと、イースターやクリスマスなどの宗教行事を守ることが教会の中心でないこと、献金袋を回すこともなく、匿名の自由献金という方式をとっていること、複雑な組織を持たず、多くのことが自発的な奉仕によって行なわれていること、その結果、教会が、規則にとらわれず、そのときの必要に応じて適切な判断ができ、すぐさま行動に移れることなど、それらはどれも私の発案ではありません。ニコラス宣教師や、その頃、すでに関東地域で伝道をやっていた彼の友人宣教師たち、そして彼らを指導したジャック・ロッカーの思想的影響から生まれ出たものです。私はそれらを彼らから学び、踏襲しているにすぎません。しかしアブラハムが、継承者イサクによって民族の祖としてその名を残したように、ニコラス宣教師も、私が彼の継承者になることによって、彼の日本滞在は意味を持つことになったのではないでしょうか。

 

■50代に発病したニコラス宣教師のパーキンソン病はかなり進んでおり、奥さんのペギーさんがその看病にあたっておられました。10年ほど前でしたでしょうか、お見舞いの意味もあっておふたりをアメリカに訪ねたとき、ペギーさんは、自分たちの通う教会の牧師を招き、私たちと会う機会をつくってくれました。私はその牧師に会うと、すぐにこう自分を紹介したのです。「私は、ここにおられるチャツクさんとペギーさんが、30数年前に日本で始められた教会を、その後、ずっと牧会している者です」その言葉を聞いたペギーさんはどっとこみあげてくる涙を抑えることができませんでした。そして言いました。「私たちは彼らの忠実さに、どんなに感謝していることでしょう」私は、ペギーさんの涙を見て、彼らのあと大津に残ってその働きを継続してよかったと心から思ったものです。イサクは、アブラハムが始めたこと以外に何もしなかったでしょう。しかしアブラハムが始めた働きを継承し、それを定着させ、安定させました。それが二代目の仕事であり、イサクのやったことです。私のやったことも同じです。が、大津での働きは三代目までうまく継承されるでしょうか。それが今、私たちの教会がかかえている一つの大きな課題です。

イサクの服従

■でも、イサクの場合、後継者問題はそれほど簡単ではありませんでした。彼にはふたりの息子がいました。兄のエサウと弟のヤコブです。兄のエサウは野の人です。活動的で、猟が得意でした。イサクは鹿の肉が好物でしたから、エサウは猟のたびにそれを携え、父イサクを喜ばせたことでしょう。弟ヤコブはというと、家庭の人です。父イサクが、どちらかといえば自分に似ているヤコブより、自分とは違う、活動的で能動的なエサウ、そして彼のもつ野性的な雰囲気に心をひかれたことは容易に想像できます。しかも彼は長男です。それだけでもイサクがエサウを自分の後継者としようとしていることはだれの目にも明白でした。ところがイサクはその点で神のみこころを見誤ってしまうのです。後継者問題で重要な役割を演じたのはイサクの妻リベカでした。リベカは弟ヤコブのほうが信仰的家系を継ぐのにふさわしい人物であると早くから見抜いていました。

 

■ヤコブは父イサクが想像していた人間とはかなり違っていました。彼は、実際にはもっと主体的で、目的のためなら果敢に戦うことのできる人物だったのです。その点、彼の妻リベカの洞察と判断のほうが正しかったと言えます。イサクの肉体が衰え、いよいよ後継者の任命とその祝福の時が近づいた時、イサクはエサウに言いました。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。だから今、野に出て行き、私のために獲物をしとめて私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」エサウはすぐに鹿の肉を得ようと猟に出ました。そのすきに母リベカはヤコブに子やぎ二頭を取ってくるように命じ、それでイサクの好む料理を作り、ヤコブに持ってゆかせ、目の見えないイサクから、祝福をだまし取らせるのです。まもなくエサウが帰って来て、鹿の料理を差し出し、祝福を求めると、イサクは言いました。「おまえはだれだ」「私はあなたの子、長男のエサウです」それを聞いたとき、イサクは激しく身震いして、こう言いました。「では、いったい、あれは誰だったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう」エサウは父の言葉を聞くと、大声で泣き、悲痛な声で父に嘆願します。「私を、お父さん、私も祝福してください。」が、イサクは、自分の言葉を取り消しませんでした。「私は彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう」不思議です。なぜイサクはヤコブヘの祝福を取り消さなかったのでしょうか。イサクは、まんまと妻とヤコブの奸計(かんけい)にやられたのではありませんか。

 

■イサクはエサウを祝福したいと思い、実際にそうしたつもりでした。ところが自分が祝福したのはヤコブだったのです。それがわかったとき、彼は愕然としました。しかし抗議はしませんでした。ただちに悟ったのです。そこに神の強い意志が働いていたことに。リベカやヤコブのやったことはたしかにゆるされるべきことではないでしょう。しかし理由は何であれ、自分がエサウではなくヤコブを祝福してしまった、そのことを変更する権利はないとイサクは考えたのです。人生には、自分の人間的な愛や個人的な感情だけでは、どうしても押し進められないものがあります。イサクはそれを知っていました。そこで静かに神の意志に服従したのです。

 

■私たちの人生にも、自分の思うようにならないことが多くあるでしょう。そんなとき、それらのすべてに神の御手を認めることができたら、なんと私たちの心は平和でしょう。フランチェスコも服従の人でした。彼は、人生に起こるすべてを、そして太陽も月も、風も火も、自分の兄弟、姉妹として受け入れました。自分の死期の近いことを医者に告げられると、彼は腕を広げてこう言ったのです。「よくこそ来たれ、姉妹なる死よ」神や宇宙、人生に対する彼の態度は、どんな場合も服従でした。そこに彼の解放と喜びの源泉があったと思われます。イサクの生涯の特徴もまた服従にありました。彼はだまされてヤコブを祝福しました。にもかかわらず、「私は彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう」と言って、自分の言葉を変更しなかったのです。そこに絶対的神の意志を見たからです。この服従の態度にこそイサクの信仰があったと言えるでしょう。

 

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