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■著名な英国の作家C . S .ルイスはこう言いました。「『永遠』が私たちの存在を決める。」 この事を一緒に考えて見ましょう!
無神論者にとって『永遠』というものは存在しません。もし仮に永遠などなく、死後の世界には何も起こらないと考えるなら、今、生きているうちは善悪などは気にせず、一生懸命遊んで暮らしてもかまいません。何故なら将来などはないからです。だから結局、未来の為に「環境を守ろう!」なんて意味のないことです。でも私達は違います。
■伝道者の書3章11節には「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」とあります。
人の心には神様から「永遠」という思い、「永遠」という考え、「永遠」というDNAが与えられています。どんな国に行っても「永遠」という概念がそこにあります。死んだ後にも何かが存在する。多くの人がそれを感じています。無神論者と自認する人でさえ、ある面でそう感じています。そうでなければ、なぜ自分の子どもを大切にするのでしょうか?なぜ自分の周囲の環境を大切に守るのでしょうか?それはやはり、何となく「将来がある」「永遠が存在する」という思いが人の心にはあるからです。
■イエス様はこの世に来て、この「永遠」についてたくさん語られました。
ヨハネ17章にはイエス様が「私は、永遠のいのちを与えるために来た。」(2節)と仰いました。又、「永遠のいのち」とは「神を知ること。」「主イエスを知ること」(3節)であると明確に語られました。更に、福音書を見るならば、永遠に関するストーリーがたくさん出てきます。ルカの福音書12章を読んでみましょう。
「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜ
なら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」(ルカの福音書12章13節~15節)
この遺産を分けるように願った人に対しての、イエス様の返答の意味はこういうことです。それは「君たち、一体なぜそんなことで悩んでいるのか?この世での人の一生はどれほど短いものかをよく考えなさい!」そして更に続く有名な例えの中でもイエス様は語られます。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』(ルカの福音書12章18節~19節)
この金持ちに対する神様の答えは『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』(20節)
パウロがテモテに言いました。「私たちはこの世に何一つ持ってこなかったし、また何一つ持って出ることもありません。」(1テモテ6章7節) クリスチャンの皆さん!本当にそう信じていますか? 卒業生の皆さん!本当にそう信じていますか? 銀行にどのくらい貯蓄があるかを気にしなくてもいいのです! 自分の財産がどのくらいあるかなんて、そんな事を気にしなくてもいいんです!なぜなら地上の富を天国には持って行けないからです!
■私(スコット)が若いとき、アメリカの有名なチャールズ・スインドル先生の教会に行きました。
メッセージの後、スインドル先生とお交わりを持つことができ、その中で先生がこのようなお話しをされました。先生が若かったとき、ダラスにある神学校に行っていましたが、お金がなかったのでアルバイトをしたそうです。そのアルバイトは面白いバイトで、葬儀屋さんのアルバイトでした。牧師は何でもやるんですね。そしてアメリカでも日本と同じように、前夜式のようなことをします。 その葬儀屋ではいろいろなスーツを持っていました。
亡くなった方のご遺族が貧しい場合、洋服があまりみすぼらしいと恥ずかしいということで、亡くなった方に葬儀中に着せておく素敵なスーツで、葬儀が終わると、遺体にまた元の普通の洋服を着せて葬るということがあったそうです。そして、スインドル先生が卒業間近になった頃、そのバイト先でお葬式をするように頼まれたそうです。しかし先生は貧しかったので、良い服をもっていませんでした。それで葬儀屋さんが、亡くなられた方に貸しているスーツを「どれか選んで着て良いよ。」と言ってくれたそうです。ちょっと気持ち良くない感じがしますけれど(笑)、とにかく自分のサイズにぴったりの素敵なスーツを着ました。そしてそのお葬式の説教をしました。緊張しながらも、何とか福音を語るためにリラックスしようと思い、スインドル先生がスーツのポケットに手を入れようとしました。ところが、そのポケットは形だけで、実はポケットになっていなかったのです。手を入れようとしたけれど、ポケットがない!その時、悟りが来ました。「死んだ人は、ポケットはいらん!」・・・今日、みなさんはそれしか覚えていないかもしれませんね?(笑)。でもこれは大切な真理です。私は若いときにそれを聞いて、「なるほど…」と思いました。皆さん、天国に何も持っていくことはできないんです。イエス様はこの真理を語られる為に、違う表現を使いました。
ルカ12章33節 ~34節にはこうあります。
「 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」イエス様は、あなたたちが死ぬとき、虫がついたり、錆びるような、そんな宝物を作ってはいけない。あなたは「天に宝物」を作りなさい!と言ったんです。そして、宝があるところに、あなたの思いが行きます。4、5年前にアメリカでリーマン・ショックがあり株が暴落しました。これは全世界に大きな影響をあたえました。この時、悲しいことに大勢の人が自殺してしまいました。何故?このような事が起こってしまったのでしょうか? それは宝物がウォール街にあったからです。クリスチャン!あなたの宝はどこですか?もちろん、天国ですね。ですから、そのように生きましょう。12章のたとえ話に戻ります。イエス様が最後におっしゃった言葉をもう一度見てみましょう。21節「自分のために蓄えても、神の前に富まない者はこの通りです。」英語の聖書に書いてある言葉が私は好きですね。"...rich towards God" 今年に入ってからこのストーリーを読んで思いました。私は神様に対して、めちゃめちゃリッチになりたいです!アーメン? 天にいっぱい宝があるようにしていきたいです!!
■今日は私の作品を持ってきました。紐です。安心して下さい。これで皆さんを縛ろうとしたりしません(笑)。
アメリカの伝道師、フランセス・チャン先生が行ったイラストレーションを見て、これはいい!と思いました。
この「紐」が『永遠』であると考えて下さい。今これは数十メートルしかありませんが、想像してみてください、この紐がず~っと伸びて、ハワイまで行くんです。ハワイから南米まで。南米からアフリカに行って、アフリカから東南アジアへ、そしてこちらに戻り、もう一回まわっていく。これがずっ~と、何回も何回も、永遠に続くことを想像して下さい。そして・・・私たちが生きているのは、このわずかな部分です。この見えている「紐」の長さです。わずか80年、今の最高長寿の方でも115歳と言っています。115歳でもわずかな長さです。この世の中の人たちの大部分はこの紐の見える部分しか知らないのです。そしてこの紐の先の見える部分のことばかりを考えています。「引退してからゆっくりしよう。」あの倉を作った人と同じですね。人生の最後にリタイアして、その楽しいリタイア後の生活だけを考えて、残りの人生を全部生きている。私はそんな人生は送りたくはありません。私が生きたいのは、「永遠」です!だから「永遠」があることを信じましょう!
■「神の前に富む。」ことについて、キルケゴールという哲学者がこのようなことを言いました。
「人生は後ろを振り向かなければ理解できないが、我々は前を向いて生きていなければいけない。("Life can only be understood backwards but must be lived forwards.") 」私はこのスローガンが好きです。これはどういう意味でしょうか?
私たちは、今までやったことを少しふり返りながら、しっかり前に進んで行くのです。私は18才の時にクリスチャンになりました。イエス・キリストと出会い十字架の元で罪が赦され、神様は私に1枚の切符を渡してくれました。その切符は永遠のいのちです。私の人生の18才のスタートから、私の後ろには常に永遠が続いています。永遠への約束が与えられています。ですから後ろが確かに決められ赦されているので、私は確信を持って前に進むことができます。皆さん!これがキリスト教の基本の中の基本です!ですけど私達はよく見失ってしまうところでもあります。
■ここで貴方に質問します!"How should we live?"
「永遠」ということがあれば、「貴方はどんなふうに生きたらいいのでしょうか?」
■1つは、「迷ってはいけません。"Don't be distracted."」
「永遠」ということを知れば多くの誘惑から守られます。世の誘惑は楽しく見えますが、私たちにはそう感じられません。永遠を知ればこの世からの誘惑の力がすごく弱くなります。
「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」(Iペテロ2章11節)この御言葉が私は好きです。なぜなら英語の聖書では"Aliens"(エイリアン)と書いてあります。私はエイリアンです!ハレルヤ!隣の人にも言ってあげましょう!あなたは本当にエイリアンですね(笑)!
私は、ハワイ人ではない!アメリカ人ではない!日本人ではない!韓国人ではない!中国人ではない!香港人ではない!私はニュージランド人ではない!私は天国人です!!本当にそう信じますか?そうならば、この世の誘惑は全然来ません。
私は30数年前にはじめて日本に来た時、日本の一般の家庭にある悩みが全く理解出来ませんでした。日本の家庭は一般に自分の子供をどこの幼稚園に入れたらよいかを親が悩みます。でも私が育ったアメリカでは子供をどこの幼稚園を入れるかなんて考えた事もありませんでした。でもその後日本に住み、日本人の奥さんと結婚し、子どもが生まれた時、自分の子供をどこの幼稚園に入れるかで悩み、その為に子供と面接の練習までしました。なんと私も同じ誘惑に負けてしまいました。でも私たちは旅人です!ずっとここにいるわけではありません!ヘブル書に書いてある通り、私たちは天国という「天の御国」の事を考えています。ですから、私たちがそこに向かって進んでいくのです。皆さん、あなたの思いはどこに置いていますか?天に置いていますか、地上に置いていますか?
■2番目、「"Don't be discouraged." がっかりしない。」ということです。
「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(コリント人への手紙第二4章17節・18節)
■見えないものを見ましょう!見えるものを見ず、見えない「天国」を見ましょう!見えない「天の報い」を見ましょう!
コリント人への手紙にはこう書いてあります。「 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント4章16節)体はどんどん弱っていきます。髪の毛はどんどん薄くなっていきます。物覚えも悪くなり、子どもの名前も何だったっけ…?なんて事もあります。(笑)でもこれはしょうがありません。私たちの肉体は弱くなるのです。でも内なる私たちは日々強められてきます。「永遠」のスコットがすごいことになっていますよ!たとえ私たちが死ぬ日まで苦しんだとしても、死んだら天国です!。でも神様は私たちがこの地上で必要以上に苦しむことは願っていません。神様の願いは、今、生きている間に天国の生き方をすることです。それが永遠です。ですからあなたはHeavenly Manです!天国人です!『永遠』に焦点をあてましょう!
■リック・ウォレン先生が「永遠の価値」についてお金を例に話してくれました。
例えば、世界経済を救う為に日本の経済とアメリカの経済が合併するとします。6月1日から日米は通貨1つにし、日本は「円をもう使いません。」と発表します。だから政府は「この3カ月の間にちゃんと交換しましょう。」と発表します。その情報を皆さんが今日聞いたら、すぐに銀行に行ってドルがあるうちに交換しますね。なぜですか?それは6月1日から私の持っている円が何の価値もなくなってしまうからです。これと同じように、私たちが死んだ瞬間に今持っている、今自分が持っているすべての物は何の価値もなくなってしまいます。でも死後に価値ある報いがあります。あなたが今語る言葉が未来に報いをもたらします。あなたが今の誘惑に負けてしまわない事、それが永遠とつながっています。あなたの献金も永遠とつながりがあります。また、あなたの行動が永遠とつながりがあります。あなたが人を赦すことが永遠とつながりがあります。今年に入って私はそういったことをリストアップしました。どのくらい天国に行ったら報いがあるのか?天国に行ったらどのくらいお金があるか?でも皆さん!天国に行ったら、お金はいりません!天の道路は何で出来ていますか?ゴールド(金)ですよ。お金はもはや価値はありません。
■「永遠のいのち」の一番の報いは何でしょうか?
それは天のお父様です!主イエス・キリストです!私達は神の栄光の中に入る事が出来ます!今は私達は永遠の報いについてあんまり良くわかりらないかもしれませんが、今の生き方がこれからの「永遠」を全部決めているのです。でも、気をつけて下さい。クリスチャンが「行い」を通して、「がんばらなくちゃ!」ではなくて、報いが欲しかったら恵みをいっぱい受け取らなければならない。そのことが大事です。アーメンでしょうか? ローマ書の2章、コリント人への手紙、創世記、黙示録、聖書の中にはそのような約束がたくさん書かれています。
■最後に、マイナスなこともあります。神を知らない人にも「永遠」があるという事実です。
でも、その「永遠」は「良い永遠」ではありません。永遠の中には「永遠の天国」、「永遠の地獄」の両方があります。すべての人がいつか主の前に立たなければなりません。裁きの時があるのです。だからこそ今しか出来ないことがあります。それは天国に行っては出来ないことです。それは伝道です。天国ではみんなもう救われているので伝道はできません。今しか出来ないのです!
■このメッセージを私の教会で分かち合ったとき、教会のある姉妹が心触れられ、まだ救われていないお母さんに電話をしました。 ちょうどその時、お母さんはテレビの番組で、天国に行った少年の話しを見ていて、姉妹が電話で「お母ちゃん!天国はあるよ。お母ちゃん!私は天国に行くよ!」そして姉妹が涙を流しながら、「お母ちゃん!私と一緒に天国に行ってほしいよ。」と言ったんです。そうしたらお母さんも「私も行きたいよ。」と言いました。皆さん、お母さんはもちろんイエス様を知りませんでした、十字架の贖いも詳しく知りませんでした。でも、「天国に行きたい!」と言ったことで、心がスッと開かれました。皆さん!天国の話をもっとしましょう!「永遠」についての話をもっとしましょう!
■私の好きな映画『シンドラーのリスト』、暗い映画ですが、見た時には泣きました。泣いて泣いて目がはれました。
このシンドラーという人は実在の人物です。ドイツ人の彼は、お金持ちになりたくて、工場を作り、工場で働く労働者が欲しかったので、ユダヤ人を無給で奴隷のように働かせようとしてナチスと取引きをしました。最初はただ金の為。会社が儲かり、そして国の為にもなると考えてのことでした。決してユダヤ人を助けようとしたわけではありませんでした。
彼のアシスタントはユダヤ人でした。ユダヤ人がこの工場で働けば、ナチスのアウシュヴィッツや強制収容所に行く必要がなかったので、工場で働けば死を免れるという状況でした。そのアシスタントは、シンドラーに「この人を雇ったららどうですか?」と何度も働きかけ、次第にシンドラーの心はどんどん柔らかくなっていきました。そして人を助けたい気持ちになりました。結局、戦争が終わった時、シンドラーは千数百人のユダヤ人を助けました。しかし、映画の最後のシーンで、彼はナチスのバッチを持っていたのでユダヤ人たちは早く逃げるようにすすめます。そして最後の別れの時、彼と奥さんが車に乗ろうとしたその時、助かった千数百人ものユダヤ人のみんなが彼にプレゼントを渡しました。「シンドラーさんのおかげで私たちは今、生きている。」と。その場面でシンドラーは、「ありがとう。…でも、もっと多くの人を助けることができたはずなのに。」と呟きます。このナチスの金のバッジで、後、2、3人のユダヤ人を救う事ができたかもしれない。この素敵なベンツを売っていたら、10人、20人ぐらいもっと雇う事ができた。もっと出来たはずなのに…!!
シンドラーという人は素晴らしい事をした人です。でも、「もっとできたはずなのに…。」と言って私は死にたくはありません。「ちょっとがんばったよー。」そのような生き方はしたくないです。「良くやった忠実な僕よ。」神様にこう言っほしいです。必ず私たちは天に行きます。最後にもう一度言います。今、これだけです。「永遠」、「永遠」、「永遠」、そして「永遠」を考えて下さい!卒業生の皆さん!学生の皆さん!皆さんがここで学んできた目的は、ただ頭が良くなる為や、何とかキリスト教を作り上げる為ではありません!「永遠」を知り伝える為です!