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ニュースレターNo.150

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「リバイバルの為の祈り」

「ハンナの祈り」
学院長 鍛治川 利文 師

 

 旧約聖書にハンナという一人の女性が出てきます。この女性は祈りによって国を救った人でした。歴史を変えた女性です。以前、NHKの大河ドラマで「八重の桜」が放映されましたが、新島八重は明治維新の時代に鉄砲を聖書に持ち替えて、人を殺す道具から、人を生かす聖書を武器に国造りに貢献した女性でした。日本のジャンヌダルクと呼ばれました。ハンナもイスラエルの建国の時代に神に用いられた女性です。ハンナは祈りを通して、新しい時代を生み出すリバイバルの為の産みの苦しみをした女性です。教会の歴史を振り返ると、時代を変えるような大きなリバイバルは、常に危機的な状況下で起こりました。ハンナが生きていた時代も士師の時代と呼ばれている困難な時代でした。この時代はイスラエルがあるべき重大な3つのものを失っていた時代でした。

1.王がなかった

「そのころイスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」
 「王がなく」という言葉がこの箇所以外に3回も出てきます。 これは悪い意味で言われていることです。それは権威の元にない無秩序な状態で、羊飼いがいない状態でした。更に「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」とは、自分勝手に善悪を判断し、部族同士で対立し、互いに協力しあうことや神に従うことをしない、自己中心の時代という意味です。これらはある意味で、今の時代にも当てはまることです。イスラエルにとっては神ご自身が王であるはずですが、しかし、民は王なる神を敬わず、自分自身が王となっていました。

2.祭司の権威がなかった

「その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんでいて見えなくなっていた。」(1サムエル記3章2節)  この時代にエリという祭司がいましたが、彼は老齢になり視力が衰え、目がよく見えませんでした。これは祭司としての霊的な勤めが充分に果たせないと言うことです。この事は自分の息子たちの教育にも影響してしまいます。エリの二人の息子、ホフニとピネハスは神に対して重大な罪を犯し、神の厳しい裁きを受けます。その結果、エリの跡取りはいなくなります。これは当時の霊的な状況でした。

3.神からの預言・幻がなかった

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「~そのころ主の言葉はまれにしかなく、幻も示されなかった。」(1サムエル記3章1節)

この当時、神は民に何もお語りになりませんでした。神は民の為にどのような指示も示しませんでした。その理由は、イスラエルの民自身が神を真剣に求めていなかったからです。この王職と祭司職と預言者という働きは、旧約時代に民を導く為に、神が備えた特別な器でした。しかしそのどれもが不足していました。不十分でした。けれども希望があります!それはどんな状況でも神の臨在は確かにあり、リバイバルの火種は消えていないということです。

「神のともしびは、まだ消えてはいず、サムエルは神の箱の安置されている主の宮で寝ていた。」(1サムエル記3章3節)

「主が胎を閉じておられた。」

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ハンナは自分自身を「心に悩みのある女」(1サムエル記1章15節)と呼んでいます。その悩みとは、自分が子を産めない不妊の女であるということでした。ハンナは夫エルカナとの子供を求めていました。この当時は一夫多妻で、同じ妻のペニンナには既に子供がありました。この時代、子を産めないという事は、自分の存在価値を失わせるようなことでした。夫は悩むハンナを気遣い「あなたにとって私は10人の息子以上の者ではないか。」(8節)と慰めます。しかしその言葉だけでは癒される事が出来ない程、ハンナの悩みは深刻でした。それは妻として、女性として、そして、一人の人間としての苦悩でした。その上、同じ妻のペニンナからの嫌がらせもあり、ハンナは精神的に追い詰められていきます。なぜ?このようなことが起こるのでしょうか。どうして?このような不運をハンナは背負わなければならなかったのでしょうか。その理由について聖書は驚くべき言葉を語ります。「主が胎を閉じておられた。」(5節)何と!この事を仕向けたのは神でした。神が原因でした!聖書を読むと、時折、「なぜ?どうして?」と思わせる箇所が出てきます。どうしてこんな言葉が聖書にあるのか?神が人を不幸に陥れるような事があるのだろうか?よく分かりません。しかし、聖書が敢えて記しているからには理由があるのです。計画があるのです。それは人の営みを超えて働く神の御心によることです。

「ハンナの選び取りは祈りであった。」

この現実を前にして、ハンナにはいくつかの選び取りがありました。それは自分をいじめるペニンナに復讐するのか?しかし、ハンナは、ペニンナに対しての復讐は考えませんでした。次に、アブラハムの妻サラのように、夫にその怒りをぶつけ「あなたが全部悪いのよ!」と責めるのか?ハンナはそれもしませんでした。更に、悲しみのあまり自暴自棄になり、自らの命を絶つのか?もちろんそれもしません。又、願いをあきらめ、人生の方向を変えて他のことに労力を注ぐのか?この選び取りは当然のように思えます。しかしハンナは諦めませんでした。他の道を選ぶことはできませんでした。神の定めに逆らってでも、強引なまでに子供を得たいと願いました。その願いを捨てませんでした。このハンナの強引さは恐らく、神がそのように働いていたからでした。 リバイバルの訪れも失望せずに求め続けましょう!諦めないで、全ての解決を主に求めていきましょう!壁に突き当たり、不幸に直面し、災いが襲ってきても、すぐに「これは誰々のせいだ!」「やっぱりあれが悪い!」「もうだめだ!」とあきらめず、その理由と解決を主に求めましょう!ハンナはただひたすら神に祈りました。

 

「ハンナは7つの方法で祈りました。」(第1サムエル1章)

1.ハンナは断食して祈った。(7節・8節)

  ~ハンナは食事を取ろうとはしなかった。

2.ハンナは心を震わせて祈った。(10節)

 ~ハンナは激しく泣きました。

3.ハンナは神様に誓って祈った。(11節)

 ~ハンナは神に誓いを立てました。

4.ハンナは、神様を信頼して祈った。(11節)

 ~ハンナは神を「晩軍の主」と呼びました。

5.ハンナは、確信をもって祈った。(11節)

 ~ハンナは、 あきらめず、あくまでも男の子を求めました。

6.ハンナは、神の前に長く祈った。(12節)

 ~ハンナは我慢強く祈り続けました。

7.ハンナは、神の前に心を注いで祈った。(15節)

 ~ハンナは心の内で祈りました。

 

  ハンナの祈りは虹のような7つの面をもった祈りです。虹は神との約束のしるしです。そのハンナの祈りは神様に届きました。その祈りの末に神からの確信が来て、ハンナの表情は変わりました。 「帰り、食事し、顔はもはや以前のようではなかった。」(18節)そして、やがてその確信は現実となります。その後ハンナは身ごもり、子を授かります。それがサムエルの誕生でした! やがてハンナが産んだサムエルは成長しイスラエルの指導者となり、混乱したイスラエルの国を神に向かわせ、神の代理者として国を建て直し、礼拝を建て直し、神の臨在を建て直し、王を定め、やがてダビデ王を任命し、イスラエルに長く続く繁栄をもたらします。そして、そのダビデの子孫はイエス様の誕生まで続きます。そして遂に、イエス様が全人類の救い主として、救いの道を切り開かれます。その道の最初の一歩は、「ハンナの祈り」からでした。ハンナはごく普通の女性でした。特別な賜物やカリスマ性はありませんでした。身分も高くなく弱い女性です。まして不妊という不幸を背負った人でした。でも、その必死の願いと祈りに神は答えて下さいました。 必ず日本にも神の訪れがやって来ます!私達もハンナのように、失望せずに神の憐れみ、リバイバルを待ち続けましょう!


東方の博士


 

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