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世界宣教命令実現のために

CFNJ聖書学院 / 学院長 鍛冶川 利文 師

あなたを心から歓迎します。このホームページをご覧いただいてありがとうございます。

学院の使命は、イエス様がご命令された世界宣教命令を実現することです。では世界大宣教命令とは具体的にどのような内容を指すのでしょうか?「福音を宣べ伝える」という世界宣教命令には3つの事柄が語られています。学院はその3つの事柄をしっかり学べるように願っています。

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「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28:19~20

1.御霊によって変えられる事~あらゆる国の人々を弟子としなさい。

先ずキリストの弟子となることです。弟子とはイエス様の証人となる事です。 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒1章8節

イエス様がお選びになった12人の弟子たちのほとんどは「無学で普通の人(使徒4:13)」たちで、さまざまな欠点や弱さを持った不完全な人々でした。しかし弟子たちには大胆さがありました(4章13節)。その大胆さは人間的なものではなく御霊によるものでした。人は誰でも様々な弱さや欠点をもっていますが、それが御霊の働きによって変えられ大胆な証人となっていきます。

2.神の家族となる事~父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け

バプテスマを受ける事は、自分が神の御体の一部分であり、神の家族の一員であることを公に認めることです。

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。エペ 2:19

父と子と聖霊の三位一体の神様が親しい愛の交わりを保っておられるように、この三者の御名によりバプテスマを受けることは、丸ごとすっぽり神の家族の愛に加えられることです。教会という神の愛に基づく共同体の中にしっかりと加えられ、その愛の中で人ははぐくまれ、養われていくことが神様の御心です。

キリストの弟子となることは神様の愛にふれ、愛されていることを知り、その愛によって互いに愛し合うものとなって行くことです。

もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」ヨハ 13:35

3.バランスをもった理解~わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

一部分の学びだけでなく、イエス様の要求は、「すべての」命令を守ることです。その為には自分の苦手な部分や不得意な事柄を避けてしまうのでなく、バランス良く多くのことを学ぶ必要があります。聖書には裁くな(マタイ7:1)と命じながら、何故?裁けないのか(1コリント6:2)と戒めています。相矛盾するように思える事柄には、深い真理の意味が語られています。ですからイエス様の教えには、様々な状況の中でも真理を知る理解力とそれを選び取る為の判断力が必要です。

「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」 エペソ3:17~19

これらの3つの事柄をしっかりと理解し、自分のものとしてはじめてキリストの弟子として、全世界に出て行くことが可能となっていきます。 世界宣教命令はすべてのクリスチャンに与えられた使命であり、目標であり、夢でもあります。そしてこの実現の為にあなたも招かれています!もし学院で学ぶことを願っておられるなら、どうぞ勇気を持って決断してください!神様は必ずあなたのための最善な道を備えておられます!どうぞこの命令の実現と完成の為にともに学んでいきましょう。

神様のロマンス

CFNJ聖書学院 / 国際部長 グドール・ジェラルド 師

あなたは、「神様のロマンス」ということについて考えたことがありますか? 創世記24章を読めば、アブラハムのしもべがイサクの花嫁を探しに行く物語があります。 イサクはイエス・キリストの型、しもべは教会である私たちの型と言うことができます。 私たちの仕事は、出て行って、私たちのイサクであるイエス様のために花嫁を探す事です。 神様がこの宇宙でなさっておられる事の中心にはロマンス(愛)があるのです。

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初めて日本に福音を伝えた人々のロマンス(愛)を考えたことがありますか? 日本まで行くのに、いくつの山を越え、海を越え、川を越えたのでしょうか? かなりの愛がないと行けないはずです。

宣教のため日本に向かう途中でフランシスコ・ザビエルは、こう書いています。「この航海が多くのあらしや浅瀬や海賊の危険にさらされていることは周知のことです。でも私は心の底から感動し、また、激励されているので日本へ行く夢をあきらめることはどうしてもできません。 神が私の心に与えてくださった恵みによってキリストの教えを広める希望はますます強くなります。」

3人の日本人漂流船員(岩吉、久吉、音吉)の助けを借りて、「ハジマリニカシコイモノゴザル」で始まる全文カタカナでヨハネの福音書を翻訳した、カール・ギュツラフ情熱。


鎖国解禁後に、50冊の聖書を北海道まで運び、札幌農学校(現在の北海道大学)の一期生全員をキリストに導いた、ウィリアム・クラーク博士情熱


創世記24章から教えられることを分ち合いたいと思います。

1.しもべは無名でした(2、34節)

 今日世界中の福音宣教は幾千、幾万の無名の神のしもべたちによってなされています。 現在世界には年間30万人以上のクリスチャン殉教者がいると言われますが、そのほとんどは無名です。 人間は自分の名前をあげようとしますが、神のしもべは、自分のために名をあげようとはしません。 神のしもべは主の御名をあげようとします。

 私たちの聖書学院の名前は、CFNJ(クライスト・フォー・ザ・ネイションズ)聖書学院です。これは、名前であるだけではなく、「世界にキリストの御名を伝える」という私たちの使命です。

2.しもべは自分の任務の成功の速さに驚いた(12-15節)

 今日、世界宣教のための祈りが増え、強力になってきています。神様は「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(Ⅰペテロ3:9)から、この祈りには特に喜んで答えてくださるのです。

 人類史上、今ほど多くの人々が救われている時はありません。 

  • 中国では、一日に30,000人以上がクリスチャンになるといわれています。
  • ミャンマーでは、1970年代まで首狩族だった大きい部族の酋長が救われ、部族全体が主に立ち返っています。かつてはヘッドハンターだった部族が、今はキリストにあってハートハンターとなりました。
  • サウジアラビアでは、1991年の湾岸戦争以前クリスチャンはほとんどいなかったのですが、その後増え始め、中国やフィリピンのクリスチャンを通して今サウジアラビア人が救われてきており密かに集会をしています。
  • 北アフリカでは、イエス様が夢の中で現れて、多くのイスラム教の人々が救われてきています。
「こうして彼がまだ言い(祈り)終わらないうちに」(v.15)答えが来ました! 私たちが世界のクリスチャンと共に日本のために祈っていると、「祈り終わらないうちに」主が答えてくださいます!  なぜそう言えるのかといいますと、聖書に「まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる」(ハバクク2:14)とあるからです。

3.しもべの目標 : 花嫁を主人のもとにお連れする事

 この花嫁になる人はどういう人だったでしょうか? 「この娘(リベカ)は非常に美しく」(16節)、 しかも仕える心がありました(18-20節)。 リベカは美しく、仕える心がありましたが、自分の宗教、文化の迷信、環境などによって束縛され、限られていたのです。 すばらしい可能性を持ちながらそれが抑えられていました。 しもべは彼女をその束縛の中から救い、解放するために遣わされました。 
 私たちも同じ事をするように召されています。 「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ロマ1:16)ということを信じて、美しく、すばらしい様々な可能性を持っていながら、偽りの宗教や、様々な迷信、環境に束縛されている人々に福音を伝えましょう。 捕らわれた人々を主のもとにお連れする事ができるように、主に用いていただきましょう。

4.しもべは旅が成功したので礼拝しました (51,52節)

今、爆発的な福音の力によって、やみの中にいた人々が、光の支配の中に移されているので、世界各地で大きな賛美・礼拝(新しい歌)が天に向かって沸き起こっています。 私たちは今、黙示録5:9の実現に向かっているのです。「彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖うのです。』」

 あなたも、自分のことばで主を礼拝してください。主を礼拝することは、あらゆる文化、言語、民族を超えて福音が前進しており人々があがなわれている事のしるしです。

5.花嫁は自らから喜んでついて行きました (58節)

今日、多くの人々が花婿イエス様に、自ら喜んで「はい、まいります」と言って、ついて行っています。 「イエス様、あなたを信じます。あなたについて行きます」と。 人々は待っています。 必要なのは彼らが福音を聞くチャンスです。 私たちの花婿であるイエス様についていこうとしています。

 さあ、あなたも、立ち上がってこのすばらしい福音を伝える人となってください。 CFNJ聖書学院では、日本における神様の栄光の訪れを信じて、イエス・キリストの福音理解を教え、福音を伝える実践的な訓練を行っています。 イエス様の花嫁となるべく、捕らわれている人のために私を用いてくださいという方。 ぜひCFNJ聖書学院へ来てください!

	STEP IN-STEP UP-STEP OUT(踏み入れる・踏み進む・踏み出す)

CFNJ聖書学院 創設者 / 理事長 チャールズ・J・グリコ 師

あなたがこれを読むのは偶然ではありません。主は新しい目的をお見せになるためにあなたを導いておられるのでしょう。それは、主との関係を深めるため、あなたの人生における召しを全うするため、そして私達が「キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)という主の目的を達成させるためです。

この目的のために、踏み入れる踏み進む踏み出すという3つのステップがあります。

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#1 STEP IN

これはあなたが新生した時、あなたの救い主としてイエス・キリストを認め、受けれることによって神の御国に入れられた時に始まります。「キリストにある新しい人」として、あなたは100%救われましたが、信仰の種と神様との関係は成長していかなければなりません。

「神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)これは心や思い、感情を新しくすることによって真理なる神様と共に成長し、親密さを深めていくことを意味します。

#2 STEP UP

これは、あなたが御霊の導きに従うことによって、熱心に主を追い求め、主との関係を深めようと決心した時に起こります。

あなたがキリストにあってであるのか、なぜ生きているのか、どこに行くのか、どのようにしてそこに辿り着くのか、今持っている力はなのか、ということをあなたが知るために、主はCFNJ聖書学院を召し出されました。

人生におけるこれらの事項が把握されていると、神様が導いておられるどんな方面においてもあなたは成功する備えがあります。

「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」(ヨシュア1:8)

CFNJで神様の御言葉の下にいることは、前進する備えをしながら神様の祝福、光、力の滝の下に立つようなものです。

#3 STEP OUT

あなたが卒業する時には再び新しい人生が始まり、CFNJで得た方向性と勢いをもって継続されていきます。

いよいよ、あなたは私たちの世界における暗闇王国に直面する力をもって前進し、サタンの要塞を砕き、敵のすべての戦略を覆すことができます。

CFNJで得られた御言葉にある固い土台をもって、私たちは「私たちの前に置かれている競争を忍耐を持って走り続け・・・イエスから目を離さないで」いることができます。(ヘブル12:1-2)

CFNJと呼ばれる組織は人であって、建物ではありません。
その人とは以下のことに努めています:

CFNJと呼ばれる組織は人であって、建物ではありません。 その人とは以下のことに努めています:

「イエス・キリストのために結び合わされた男性と女性のグループである彼らは、

御霊の導きのもとに行動し、

あらゆる世代のクリスチャンを訓練するために献身し、

学生がキリストにあって成長するために

聖書とそれに基づいた科目によって、

実践的なミニストリーによって、

賛美礼拝によって、

祈りととりなしによって、そして

これらすべてにおいて模範となることによって学生を訓練します。」

CFNJは責任説明(アカウンタービリティー)をする組織を築いています。

  • CFNJは「母校」であるクライスト・フォー・ザ・ネィションズ(米、テキサス州ダラス市)の公認提携校です。現在、提携校は世界30カ国のおよそ40校に及びます。CFNJの学生はあらゆる文化にある兄弟姉妹と世界的つながりがあります。CFNIは専門的な監督と学問的なサポートを提供します。
  • CFNJは宗教法人アジアキリスト福音宣教会(CFAEF)の顧問と理事によって、日本においても監督のもとにあります。
  • 米国にある事務所を通して、CFN-Japan法人の顧問と理事が監督、又助言します。

CFNJのその他の特徴は

成績単位の認定:聖書学院提携校として、CFNJの学生がアメリカで学びを継続することを希望するならば、取得した成績単位はCFNIにおいて認められ、その後の他の大学に進むことも可能です。

優秀な教師陣、そしてバランスの取れた実践的アプローチの授業やミニストリーを通して御言葉の実践的訓練を行います。イエス様は聖霊様が「すべてのことを教え、私があなた方に話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)と約束されました。私たちは、主に拠り頼みながら「聖霊様がCFNJで教えてくださる」ことを信じています。

父なる神の願い (父の願いは子供を喜ばせる事

CFNJ聖書学院 / 学院長 鍛冶川 利文 師

「彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」(マタイ17章5節)

この個所はあの有名な変貌の山での出来事です。イエス様が三人の弟子を連れて高い山に登り、そこで弟子達は実に驚くべき光景を目にします。イエス様の御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は眩しく光り白くなります。しかもモーセとエリヤが現れ、イエス様となにやら話をします。その光景は正に超自然の荘厳で神秘的な光景でした。弟子のペテロは驚きと恐怖のあまり正気を失います。

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このような状況の中、天からの神の声がありました。その声は天を引き裂くような激しい調子ではなく、むしろその場を包み込むようなやさしい言葉でした。「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」この言葉は他にマタイの福音書の3章17節にも記されています。パプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、イエス様が公生涯を始められる時にも同じ言葉が語られました。イエス様にとってこの言葉が語られた時は、これから重大な使命を果たそうとする正に人生のターニングポイントのような大変な時でした。この言葉の内容は何か深い啓示とか、壮大な預言で深い解釈が必要ということではなく、むしろ単純な「私があなたの父であり、あなたの事をいつも見守っているよ」という天の父からの優しい呼びかけです。

父が子供の人生を見守り、その重大な局面に優しい言葉をかける、その言葉はどれほど子供を励まし勇気づけ支えることでしょう。神という存在が「父」であり、その「父」が「子」という存在を喜び、いつも見守っておられる。そしてこの言葉こそは聖書全体の本質的なメッセージでもあります。キリスト教は一言で言うと「父親の真心の教え」です。これは、難しい教理の問題ではなく、実感です。

最近のニュースを見ると、家庭崩壊、家族がみなバラバラで、親が子供を虐待し、殺してしまうような痛ましいニュースばかりです。 今の時代は親子の関係が破壊されているような危機的な時代です。

でも聖書に出てくる父と呼ばれるお方は、例えどんな事があろうと見離さず、見捨てず、最後まで愛し守り続けて下さるお方です!

1.「父と子の関係」

イエス様はいつもご自分が天の父の子供である事を強く意識していました。弟子達はイエス様と長く一緒に過ごしました。共に道を歩き、畑や山を越え、町を通り、湖や川の辺で座りながらいろいろな事をイエス様から聞きました。又、病や悪霊に憑かれた人を癒され、ある時は死人を蘇らせ驚くべき御業を弟子達は目撃しました。そんな中で弟子達は、どうしてイエス様はこのような事が出来るのだろうか?この力はいったい何処から来るのか、この方は普通の人とはどこか違う。ただの人ではないという事を知っていきます。そんな中、イエス様が祈りを終えられた時、思い切ってこう訊ねます。「イエス様、どうか私達に祈りを教えてください!」この個所はルカの福音書11章1節の言葉です。恐らく弟子達は、この方の不思議さは、この祈りの中にその秘密が隠されているのではないだろうと考えたかもしれません。そこで、弟子達はもっと熱心に、力強く、長く祈る事が出来るように、その祈りの秘訣を教えてください!と強く願いました。しかし、イエス様の答えは非常にシンプルな答えでした。それは「父よ!」「天におられるわたした達の父よ!」という呼びかけです。先ず祈りの最初に「父よ」と呼びかけることは当時のユダヤ人社会では衝撃的な言葉でした。当時、イスラエルでは、神を父と呼ぶことはありませんでした。イスラエルの国家の父という概念はありましたが、個人的に呼びかけたりは出来ませんでした。でも、イエス様は「お父さん!」こう祈りなさい教えます。この呼びかけは、祈りは先ず、この立場を認める所からはじまるのだという事を弟子達に教えるためでした。祈りはまず「する」という行為からではなく「ある」という立場から始まります。つまり「DO」ではく、「BE」~子であることを認めることからはじまるのです。

2.父の願いは子供を喜ばせる事

私は聖書の放蕩息子の個所(ルカ15章)を読むと、天の父がなんと子供に甘いお父さんであるかに驚きます。これでは正に親バカです。子供の性格をよく知っていながら敢えて財産を分け、あげくの果てに使い果たし、無一文になって帰ってくる息子をずっと待ち続け、やっと帰って来た子供に自分から駆け寄り、受け入れ、赦し、なんと家中で一番良い服を着させて宴会まで開きます。こんな親がいるでしょうか?いたとしたらそれはチョット甘やかせ過ぎに思います。でも、これが神の真実な姿です。聖書の神である天の父は私達子供にこのようにして下さるのです。驚くべき愛の方です。つまりそれは100%の受容ということです。受け入れてくださると言う事です。その際、子供の出来不出来は関係ありません。いやむしろ出来の悪い子供こそ可愛く、心配です。これが子供として扱うという事です。

子供は親にとって特別な存在です。子供とは特別扱いされるものということです。でも、それはただ甘やかされるという事ではありません。子供として扱われるという事は、親は親としての責任を最後まで果す為に全力を尽くすという事です。

親は子供の言う事を何処まで聞くのか?又、子供は親が自分の願いをどこまで聞いてくれるのか?これが問題です。以前、歯医者に言った時、3~4才の女の子が親と共に歯の治療を受けていました。先生が注射をしようとした時、その女の子は激しく泣きながら、叫び続け、結局、親も医者も根負けして治療を止めてしまいました。終わった後、待合室でその子は一生懸命母親に弁解をしていました。なぜ注射が嫌だったか、実に達者な言葉でお母さんに長々と説明しました。でも最後に親は子供の目をしっかり見つめてこういいました。「わかったよ、でもね、だからといってこれで終ったら虫歯はひどくなってもっともっと痛い思いをしなけれならないの。だから、明日は必ず治療を受けるのよ!」と。お母さんの真剣な眼差しを見て子供は「うん!」と素直にうなずきました。子供の必死な願いで、親の心が変わる事があるかもしれません。しかし、子供にとって必要な事は、親は必ずやり遂げるという事です。

3.子供の願いも親を喜ばせる事

ヨハネの福音書4章にあるサマリヤの女との出会いの時、イエス様が語られた礼拝者の条件があります。それは、父が望んでいる礼拝者の姿は、「霊と真によって礼拝を捧げる」ものだという言葉です。これは、親が願う子供の姿です。つまり、霊とはその人の本質、ありのままの姿です。礼拝は、形や儀礼的な肉の部分で行なうのではなく、霊というその人の本質をあらわにして、さらけ出し、子供らしく神の前に出ること。そして、真とは正直に真実をもってという意味です。つまりこれは親から愛されている子供らしく、子供として親に接する。それが親が最も願っている事です。そして、その子供の願いは、子供なりに何とか親を喜ばせたいという事です。

以前、私の妹が母親といつも仕事の帰り、一緒に買い物をして帰っていました。ある時、母親がショーウインドーの中の素敵なバック(皮の高級そうなバックです)を見て、「高そうだね。チョット手が出ないわね」そう言いながらいつも帰りました。そんなある日の帰り道、母親がいつものショーウインドーに目をやるとそのバックがありません。母親は「誰かが買ってしまったんだね。残念!でも仕方がないよね。いつまでも売れないとお店も困るからね」と言いました。でも内心はとても残念そうにしていました。その日、家に帰ってから妹は、いきなりパンパカパ~ンと言って、母親に一つの包みを渡しました。その中身はあのバックでした。実は妹は母親の喜ぶ顔が見たくてお金を貯めて買っておいたのです。母の目には涙が溢れていました。あまりにも思いがけず突然だったのでビックリしたのです。母親が喜んだ事は言うまでもありません。子供にとっての最大の願いは、親を喜ばせる事です。

私達は天のお父さんの子供である事をしっかりと理解しなければなりません。

イエス様はこう言いました。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」マタイ18章3節

私達は天の父の子供です。愛されている子供としてこれからも父の心を喜ばせる歩みをしていきましょう。